少年隊(しょうねんたい)は、日本の男性アイドルグループ。ジャニーズ事務所に所属していた(名前のみ存続、詳細後述)。レコードレーベルはジャニーズ・エンタテイメント・レコード(2019年 - 2020年)。リーダーは錦織一清。 グループの愛称は「ショーネン」(発音は“笑点”のアクセント[要出典])。 59キロバイト (3,326 語) - 2022年5月18日 (水) 11:42 |
少年隊・錦織一清「東山紀之の連絡先は知らない」本当のメンバー仲とジャニーさんからの金言
2022年5月18日 16時0分 週刊女性PRIME
https://news.yahoo.co.jp/articles/9376082aa22c92f7ce75bfc4066742e83f6b84af
錦織一清。寄席が好きだった父親と、ジョークばかり言っていたジャニーさんの影響もあり、質問に軽快に答えていた
(出典 newsatcl-pctr.c.yimg.jp)
1980年代に歌とダンスで多くの人を魅了した『少年隊』。メンバーのひとりとして活躍した錦織一清は、当時の熱狂をこう振り返る。
「僕は東京の下町育ちのいわゆる江戸っ子。女性ファンの声援はすごく喜ばしいことですけど、どこか俯瞰して見ていましたね」
12歳のとき、姉がジャニーズ事務所に履歴書を送ったことでエンターテイメントの世界に入った錦織。'81年にジャニー喜多川さんの呼びかけで植草克秀、東山紀之との3人のグループが結成される。
◆ジャニーさんからはダメ出し続き
「当時、レコードデビューはもちろん『少年隊』としてどんな活動をしていくかもまったく決まっていなかった。それにもかかわらず、フジテレビの音楽番組『夜のヒットスタジオ』に出演の話が持ち上がったんです。番組プロデューサーと打ち合わせをしたときも“レコードを出していない歌手を出すなんて前例がない”と難色を示されました。もし、あのときOKをもらえなければ、今の僕らはなかったかもしれません」
周囲の期待に応えるように'85年にリリースした『仮面舞踏会』は、デビュー曲にもかかわらずオリコンチャートで初登場1位を獲得。翌'86年から青山劇場で少年隊の主演ミュージカル『PLAYZONE(以下、プレゾン)』が始まるなど、着実にスターダムを駆け上がっていく。
「プレゾンはジャニーさんと事務所主導だったので、僕らがこんな曲を使いたい、こんな役にしてほしいといった要望は反映してもらえました。毎年1回、1か月間の公演を23年間青山劇場でやらせていただきました」
師であるジャニーさんからは、ダメ出し続きだった。
「全然褒めてくれませんでした。外では“少年隊は自分の最高傑作”と語ってくれたそうですが、僕らの前で決して言わなかったのが、なんか信憑性があるなとも思います。ジャニーさんが“タレントは年齢を重ねるごとに、ちやほやされて耳触りのいいことを言われるから、勘違いするんだよ”って言ってくれたことは今でも覚えていますね。それもあって、日頃から漠然と仕事をしているとファンの心を弄ぶことになってしまうなとも思っていました」
真摯に芸能活動を続けていた錦織。演劇に深く関わり続けた縁もあり、数多くの名作戯曲を生み出したつかこうへいさんに見いだされて'99年には『蒲田行進曲』の主役に抜擢される。
「つかさんの舞台は出合う前から好きでした。あの人の舞台は、稽古のときから常に全力なんです。何度も同じセリフを大声で繰り返すので、激しい稽古でしたよ。この経験が芸能人としての分岐点のひとつだったと思います」
◆少年隊のリーダーはジャニーさん
日本のショービジネスの大物2人の教えを受け、演劇に関する思いを強めていった錦織。次第に、ジャニーさんから舞台演出の仕事も任されるようになる。
その一方で、'08年には少年隊主演のプレゾンが終了するなど、グループとしての活動は縮小していったが、この方針転換は“織り込み済み”だったようだ。
「ジャニーさんは結成当時から“少年隊はグループじゃない。ゆくゆくはひとりひとりで、活動できなきゃダメだ”と言っていました。僕らは仲がよかったとかではなく、ジャニーさんのセンスで集められたところから始まっていますしね。最初から、それぞれが別々に活動する構想だったんですよ」
そもそも『少年隊』というグループは、ほかのアイドルとは一線を画していた。
「よく『少年隊』のリーダーは自分だと言われますが、正しくはジャニーさん。グループの活動はジャニーさんや事務所主導で決められていました。だから、僕ら3人で集まってミーティングをしたり、活動方針を決めたことは0回。後輩の『V6』や『嵐』たちはメンバー同士で話し合って活動方針を決めたりしていましたが、僕らはなかったんです」
それぞれの道を歩み続けた3人。彼らをつなぎ留めていたジャニーさんは'19年にこの世を去ってしまう。
「ジャニーさんから任された舞台の仕事があったので、事務所にも所属し続けていました。でも、ちょっと辞めるのが遅すぎたかなと思っています。プレゾンは40歳の半ばまでやらせてもらいましたが、どうして『SMAP』のような後輩に譲らなかったんだろうって気持ちもありました」
'20年末、植草と同時期にジャニーズ事務所を退所。『少年隊』というグループ名は事務所に残ることになり、現在も“解散”はしていない。'25年には、デビュー40周年の節目を迎えるが─。
「植草とはYouTubeで共演するなど前よりは会う回数が増えてきましたけど、あと1名(東山)に関してはずっと自宅も連絡先も当時から知らないので(笑)。まず、連絡先を入手するところから始めないといけませんね」
独立後は、これまでの経験を活かして演出家としての活動に集中するようになった。
◆「今が人生で一番幸せ」
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
もっとしっかりフィットした
お帽子をかぶって下さい
あと1名さんか
元SMAPでもここまで乾いてないよな
しゃべりも上手だったな。
国分なんかよりよっぽど司会もできそう
>>5
ちょっとADHDなのかなっていうくらい落ち着きがなくて
しゃべり出すと、全然会話のキャッチボールができないけど?
いつも前のめって話してる
徹子とやり取りするともう放送事故レベル
最初は少年隊で三人そろってテレビに出てたけど
ある時点でヒガシしか出てこなくなったよね
ニッキとかっちゃんどっちも気の毒 わぉ
すっかり爺さんだな
あと一名さん…
怖
昔のグループはみんな仲悪いなw
>>12
アイドルはソロで歌うのが全盛期に
無理やりくっつけて活動させるから
もうバチバチよ
>>12
TOKIOは仲良しらしい
だから松岡は山口のロリコン性癖を昔から知ってたんだな
ヅラは止めたほうがいい
ずっと自宅も連絡先も知らないか
東山はそういう奴だわなあ
冷酷なイメージある
東山って女をゴミ箱に投げ捨てるような奴やからな
でも、東山は外ではちゃんと錦織を立ててるからなー
もう少し大人の振る舞いしようよ
不倫植草と仲良しか
要約すると東山が異常って事だわな
東山が名優あつかいされるのは片腹痛いな。
1人だけ抜けて売れちゃうとそりゃ嫉妬するよね
還暦近くにもなって男の嫉妬みっともない
もっとお帽子にお金かけた方がいいよ
まあ特に少年隊全盛期にはずっと自分の方が上という自負があっただろうからなその分余計に
まあ実際おしゃべりを除けば完璧だった
完全にお爺ちゃんじゃん
東山が見た目維持してるの凄い
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